
日本福祉大学福祉経営学部 助教
加藤 弘典
自己紹介
こんにちは、加藤弘典と申します。私はもともと音楽畑の人間で、音楽制作の現場に身をおきつつ、美学や芸術論に関心を寄せてきました。二十代半ば、リーマンショック以降の不況のなかで生活が立ち行かなくなり、「現代に生きるための力」を改めて勉強し直さなければならないと思い、音楽から離れて社会福祉の学びに踏み出しました。
出発が切羽詰まった動機だったこともあり、私の研究姿勢はそれほど立派な志に裏打ちされたものではありません。思うように回らない日常、周囲に認められない感覚、もやもやとした苛立ち——そうしたルサンチマンから、近現代社会を構成する概念や文化を疑い、相対化しようとする思考に強く惹かれていきました。なかでもポストモダン以降の現代思想、特に突き詰められた相対主義との出会いは、心が震えるような体験でした。
私の根幹には、今も変わらず美学や芸術があります。美しいもの、心を震わすものと出会いたい。それは人間の生き方でも、社会の構造でも同じです。「よく生きる」というのは、ギリシャ哲学から続く伝統的な命題ですが、私自身も含め、誰かの心を震わすような、そしてすこし生きるのが楽になるような価値を見つけるために、倫理学、哲学というフィールドで試行錯誤しています。
研究内容
私はつねに、「人間の存在とは何か」という大きな問いを手放さずに研究を続けています。現在はとりわけケア倫理、対話の哲学、メディア哲学を中心に、人と人とが接する場面で「どんなふるまいの変化が起こるのか」ということに焦点を当てています。現代は「自分というプロジェクトを明確に管理する」ことが称揚されますが、そうした語りはしばしば自己を硬直化させ、相手の声をかき消してしまう非対話的な身振りへと傾ける危うさも含んでいます。
例えば、自分の身体一つとってもその成り立ちは曖昧さに満ちているものなのですが、様々な形でデータ化することで身体に輪郭を与え、その数値をエビデンスとして物質的に取り扱う姿勢が一般化しています。可視化や記録は確かに有用ですが、この姿勢は対人関係にも密かに持ち込まれ、相手を「指標で読む」態度や倫理的な応答責任の配分をいびつにする影響をもたらします。
対話が強く求められる時代に、その足元で逆行するような状況が日常のうちにあること。そうした矛盾を少しでも和らげられるように、「あいだ」に生きるということについて研究を進めています。
当学会へのリクエスト
華やかな成果発表に加えて、未整理のノートや曖昧な着想を安心して持ち寄れる敷居の低い場を増やしていただけると嬉しいです。地域単位の小規模な読書会やオープンな研究会、実践家や研究者が交流できる座談会など、それぞれの試行錯誤を可視化したり共有する場があることで、アイデアの共同生成が促されると考えます。各人の研究スタイルや速度を尊重しつつ、多くの人が気兼ねなく出入りできるスペースがあるということが、研究基盤を強くする一要素になるのではないかと思います。
